推しと飯。

三度の飯と推しが好き(強欲)

推しがエーステを卒業した

トルライ春、全公演無事終了しました。まずはキャストさん、スタッフさん及び関係者の皆様、本当にお疲れ様でしたって気持ちです。肉体的なお疲れ様だけじゃなく、変異株が猛威を奮って桁外れの感染者数が続くこの状況下で絶対に感染しないための努力ってめちゃくちゃ精神摩耗するだろうなぁと思ったから。

私個人としても同行者の友達共々2回目のワクチンを接種して抗体が出来た状態で参加出来て少し気が楽だった。それでも前日まで体調崩す恐怖とは戦ってたけど。

今回何がなんでも全通する、って強い意志でCDを積みまくったのが報われて最速先行で全公演のチケットが揃いました。最速先行の当落の日に突然緊急事態宣言が出て、それ以降の先行に一気に規制が入ったから早めに確保出来てて精神衛生上ほんとに救われた。

推しの卒業に対する心構えは発表から半年経っても何も出来ず、実感もわかないまま当日を迎えることになったけど。推しの卒業、引退、解散とか長いオタク人生で何度も経験してきてその度に胸が張り裂けるような気持ちになったけど何回経験しても慣れることがないし、この先もオタクを続けてたら何度も経験する痛みなんだろうなって思う。

オタク外の友人や家族からは「引退するわけじゃないんだよね?」「役降りるだけでしょ?」って言われたこともあったけど、その単純な一言で片付けられないほどエーステに対する思い入れと思い出が深くなってて、もちろんA3!での最推しキャラの真澄くんを推しが演じてる事も何にも変え難いことだし、エーステっていうコンテンツそのものの魅力もこの3年で嫌という程痛感してきて。3年って言っても推しがちゃんと公演に出てた期間を計算すると1年にも全然満たない期間かな、とは思うけど推しが出てなくてもエーステの公演には毎回通ってその度に幸せな気持ちで帰って来れたし推しが出てる他の演目の昼公演とエーステの夜公演をハシゴした日があったんだけど、推しが出てなくても圧倒的なホーム感を感じたのはエーステだった。推しが出てない期間でも「こんな素晴らしい舞台で真澄くんを演じてるのは推し」っていう事実すら嬉しいみたいなところがあったし。

それに加えて、月日を重ねる毎に春組5人のキャスト同士の関係性や絆も少しづつ見えてきて。トークイベントだったりバクステだったり雑誌の対談だったり、ファンから見えるものはすごく限られた部分的な情報でしかなくて自分の願望や想像による部分も少なくはないかも知れないけど、あの5人の関係性がどんどん好きになってきて。みんなでディズニー!とか旅行!とかそういう雰囲気よりは気づいたらささっと大和さんの家に集まってお泊まりしてるとか、公演終わりに5人揃って焼肉に行くとか。あと何よりもこの5人の日頃の空気を垣間見ることができると思ってるのが5人で撮った写真たち。ほんとに全員心の底から楽しそうないい顔で写ってるんだよね。春単の冒頭で「監督!」「監督!」「カントク!」って5人が積み重なってるあの密着具合に近しい距離感で、毎回それぞれが微妙に違う顔とかポーズの差分みたいな写真を上げてて。フィルコレで唐突に始まったステージ上での鬼ごっこ、まさかトルライでキャラの姿としても見ることになるとは思わなかったけどwww

飾りようのない部分で5人がこのメンバーでいることの居心地の良さを感じてるのが伝わってきて。

龍儀くんとのラジオや龍儀くんの配信でも言ってたけど最初推しと龍儀くんの関係性もそんなにいいものじゃなかったみたいなのに今やお互いのバイベのゲストで出るくらいまでになってるし、トルライ稽古での2人のエピソードもリアルに旗揚げの時の咲也と真澄くんみたいで。

この5人の関係性が確立されたものになりつつあるし、春組がこの関係性で引っ張っていく限りエーステは大丈夫だろうなって思えてしまうだけにやっぱりどうしても寂しくて悲しくて。

エーステはあくまでもキャラクター及びキャラクターが演じる役柄を崩さないってスタイルが春夏の頃からあって、影アナもカーテンコールもあくまでキャラクターとしてのものだし。だからそれはもちろんトルライでも健在だったんだけど、中盤のオリジナル脚本のストーリーは何処か推しの卒業ともリンクするセリフが詰め込まれてて亀田さんを初め制作陣の出来るスレスレの門出の演出を感じて涙が止まらなかったし、その流れでのSpring has come!が一番の号泣ポイントでした。桜の下ではもちろん泣けるんだけど、明るくてキラキラした曲調の方が却って泣けたりするんだなと思って。ずっとこの5人で聞きたかったSpring has come!を春単の凱旋初日で期待通りに聴けた時の感動だったり、サビでミラーボールの光がキラキラ会場に反射して春組のキラキラ感とマッチングしてる事だったり「我ら春組は」で横一列に並んで宣言する時に最高に完成された5人の春組を直視する事だったり色んな要素が積み重なってあの歌はダメだった。

日頃から涙脆い龍儀くんや優希くんはボロ泣きするかなぁと思ったけど初日から何公演かの寸劇の終盤で泣いてることこそあれど楽公演では思ったよりずっと笑顔だな、って印象で。だからこそ一番最後の挨拶で大和さん演じるシトロンが珍しく言葉に詰まりかけたこと、その表情を見た時にほんとに衝撃受けた。あの挨拶もあくまで春組として話すべきシーンだからもちろん卒業とか最後とかメタな単語は出せない中で一人一人がスレスレのラインを保って言葉を選んでることすら泣けてしまって。

咲也の「泣きたくないんですよね」は今思い出しただけでも涙出てくるし、あの瞬間客席からも嗚咽めちゃくちゃ聞こえてきてた。


ここまでを8月のトルライ直後に書きなぐって早4ヶ月が経ってしまった。

私は明日エームビを見に行くので、完全なるフラットな気持ちでブログを書き上げるなら今しかないと思って急いで書いてます。


トルライのラスト公演の日のことは昨日の事のように思い出せるからスラスラ書けるんだけど、春夏公演からずっと一緒に春組を見守ってきたとしきファンの友達と最後の最後まで連番で見守ることが出来て、ラスト公演の直前にサイゼでパスタ食べながら2人で泣いたこともラスト公演終わって立川駅まで歩く中で私まで卒業公演みたいなワードがぽろぽろ出てきてまた2人で泣いたことも、友達と別れたあと泣きすぎて誇張なく本当に化粧が8割取れた状態なのに頭だけヘアメで浮かれぽんちな感じで電車に乗ってTwitterでオタクたちのツイート見ながら1人でずっと泣いてたこともまざまざと思い出せるよね。

家に着いてからキャスト勢のツイートが上がり始めて、推しが冨士原先生に描いてもらった絵を見た瞬間色んな感情が溢れて声上げて泣いてしまった。

これじゃまるで卒業しちゃうみたいじゃんって。これで最後みたいじゃんって。推しが碓氷真澄のこともエーステのことも春組のことも本当に大切にしてるのは日頃から伝わってきてたから、もしかしたらいつかまた戻ってくる可能性もあるんじゃないかって心のどこかで期待してた自分がいて。実際他の2.5ではそういうこともあったみたいだし。

だけど冨士原先生まで出てきちゃいよいよほんとにガチの卒業なのよってなって(謎基準だけど伝わりますよねこの感じ)本当に翌日よく仕事行けたなって今でも思う。


4ヶ月経って新しい春組の動きもあって自分が気持ちを切り替えられたかと言うと全くそんな訳はないです。もうこれは性格だから仕方ないね。

りょうやくんのことは元々新テニミュで見て知ってたし、本当に真澄くんを引き継いでくれてありがとうっていう気持ちでいっぱいで推しを肯定することが彼を批判することにはならないで欲しいしそんな意味合いはないんだけど。他のファンの人達はもちろん真澄くんファンのフォロワーさんたちもどんどん前を向いて新しい春を見つけてる中、なんか自分だけ一生めそめそしてるんじゃないかなって恐怖がすごい。もう何百回と同じ思考を辿ってるのに、まだ飽きることなく脳が何度でもショックを受け続けてる感じで。


この先エーステで春組を見ていく度に私はうじうじと「これを推しがやる未来もあったかもしれない」とか思うのかと思うといっそ離れた方が精神衛生上良くないか?って感じだけどコンテンツそのものが大好き過ぎて離れるのもそれはそれでまた死ぬほど辛いんだと思うんだよな。

一人だけキャス変になった経緯や理由を知りたくないわけじゃないけど明確にこれが理由でしたって知らされたところで新たな呪いを生み出すだけだしそれで推しがまたエーステに戻る訳でもないしまじで私の気持ちの落とし所はどこに???って感じの状態が今です。

推しだけがそこにいないものを見続けさせられるのは結構堪えるものがあって、でも本当はみんなと同じように新しい形も受け入れて楽しみたいんだよね。ただ、それを柔軟に出来るかどうかは分からないって言うのが熱しにくく冷めにくい自分の性格から明白だからほんと救いようがない!!


自分がこうしてオタクになったのって幼い頃親が厳しくて自分が興味持った事を心の底から楽しめなかった事が絶対影響してるって思ってて。

友達に借りて読んだら面白くてハマって自分でも買ったライトノベルはいつの間にか取り上げられてどこかに隠されて戻ってくることはなかったし、ラジオ番組にハマって毎晩聞きながら寝落ちしてたらラジカセは物理的に破壊されて(wwwwww)楽しんでたものをまだ楽しみたいのに、まだまだ自分は好きなのに取り上げられたり壊されたりして不意に奪われることがトラウマなのに自由にオタクできるようになったら卒業だのキャス変だのサ終だのそんな形で自分の好きなものを奪われる可能性もあるんだなって痛感してるよ

まあ、オタク云々抜きにしても始まりがあるものは終わりがあるのでドラマだって1クール経てば終わるしサイゼのラムのラグーパスタだって気づいたら終わって戻ってきた頃にはトロフィエになってるしさ。そう思うと「自分の意思でジャンルから離れるケース」が結局一番幸せなのかもしれんねとすら思った。少なくとも志半ば感は薄いでしょう。私なんて渡り歩いてきた各ジャンルの未練とそれに伴う悲しみを丸めて捏ねて形成された存在ですよ。


まあそんな感じでちっとも前には進めてないけど夏のトルライははちゃめちゃに楽しくて泣けたし秋も冬も楽しむ気は満満満なんだけどさ。一個多い、満々な。

そう、夏組の青春サマーレインボーとかいう神曲の「寂しくなれるって素敵なことじゃん だって寂しくなれるくらい楽しくて楽しくて」の辺りのフレーズ、天才かな?って思いました。

ほんとに好きで楽しんだからこそ失った時の反動がこんなにでかいんだなって思うし、そう思うとこの悲しさも寂しさも私が全力で推しのいるエーステを楽しんだ証として大事に抱えてくべきなのかも知れんね。いやそんな綺麗にまとまりませんけど。


まあそんなわけで、みんなも改めて推しを推し現場で推せる今を全力で生きてください!雑〆!